磯崎新の息子、宮脇愛子の子供!辛美沙、いそざきあらた、丹下健の息子は?磯崎新アトリエ、磯崎亜紀子は今!磯崎元洋の経歴

「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞した磯崎新さん

日本人では8人目となる快挙で
今現在かなり注目されている人物です。

今回の記事ではそんな磯崎新さんのプロフィールをはじめ、
・気になる年収や経歴
・妻や子供の家族情報

も併せてまとめていきたいと思います、

・磯崎新の息子や宮脇愛子の子供などプロフィール

磯崎新さんのプロフィール

名前:磯崎新(いそざきあらた)
生年月日:1931年7月23日
年齢:90歳(2021年12月現在)
出身:大分県大分市
出身校:東京大学工学部建築学科
所属:磯崎新アトリエ
建築家・日本芸術院会員。
一級建築士、アトリエ建築家

・磯崎新のこれまでの経歴

これまでの経歴を箇条書きでまとめていくと

旧制大分中学(現大分県立大分上野丘高校)卒
1954年、東京大学工学部建築学科卒
1960年、丹下健三研究室で東京計画1960に関わる
1961年、東京大学数物系大学院建築学博士課程修了
1963年、丹下健三研究室を辞め、磯崎新アトリエを作る
1967年、大分県立大分図書館を作る→1997年にアートプラザになる
1967・75年、日本建築学会賞受賞
1968年、株式会社環境計画代表取締役就任
1970年、大阪万博のお祭り広場を作る
1975年、群馬県立近代美術館・北九州市立美術館を作る、『建築の解体』を書く
1980年~1992年、『建築脚光』を創刊する(篠山紀信とのタッグ作)
1983年、つくばセンタービルを作る
1986年、東京都庁舎のコンペ参加
1986年、RIBAゴールドメダル受賞
1991年~2001年、Anyコンファレンスを企画・参加
1991~2002年、『批判空間』誌編集顧問就任
1996年、織部賞・選考委員長就任
1996年、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞受賞
2017年、日本芸術院会員選出
2019年、プリツカー賞受賞
引用:ウィキペディア
これまで受賞した賞をマーカーで塗ってみました。

また主な代表作品を取り上げると

つくばセンタービル

北九州市立美術館

中央美術学院美術館

その他、
京都コンサートホール
ロサンゼルス現代美術館

などがあります。

・磯崎新の年収は?

年収の一般公開はされてはいませんが、
一級建築士の平均年収は600〜700万
と言われているそうです。

参考記事:1級建築士・2級建築士の年収を解説

しかし、磯崎新さんレベルになると
それ以上の年収をもらっているに違いありませんので

おそらく、2000万円前後はもらっていると考えられるでしょうね

・磯崎新の家族情報

ここからは磯崎新さんの家族情報についてまとめていきたいと思います。

・磯崎新のご両親

父親:磯崎操次さん
母親:磯崎てつさん

父親の操次さんは
米穀商・大分合同トラック会社を経営している傍、
俳人としても活動していたそうです。

一方、母親のてつさんに関しては
日出高校卒業としかありませんでした。

・磯崎新の嫁

磯崎新さんの嫁も実はものすごい方でした

宮脇愛子のプロフィール

名前:宮脇愛子さん
出身:静岡県
日本女子大学文学部卒
職業:彫刻家
前夫:宮脇俊三(鉄道紀行作家)

2014年8月20日、84歳で亡くなった方ですが
生前は彫刻家として活動していたそうです。

・磯崎新の息子・娘

調査してみたのですが、
磯崎新さんと宮脇愛子さんの間には
お子様は生まれていないそうです。

もしいたら、アーティストとしての才能を兼ね備えた
人間になっていたのかもしれませんね。

・まとめ、辛美沙、いそざきあらた、丹下健の息子、磯崎新アトリエ、磯崎亜紀子は今!磯崎元洋の経歴

今回は磯崎新さんについてまとめてみました。

日本人では8人目のプリツカー賞を受賞したとして
同じ日本人として誇りに思っていますし、
これからもまた世界を代表とする日本人が出てきてほしいと
願っております。

それでは最後までご覧いただきありがとうございました

関連記事:河合来夢(ダンス)の両親(父・母)や弟の家族情報!顔画像は?

1 COMMENT

元所員

宮脇さん亡き後、現在の夫人は辛美沙さん。
宮脇さんとの間に子供はいませんが、その前の富田玲子さんとの間に二人いて、磯崎宙氏と磯崎幹氏です。

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